奈良盆地は興福寺などの大寺院の膝下として多くの荘園が経営され、売券や土帳などの土地関連史料が多数残り、日本の土地制度史や開発史を考える上でも重要な地域です。そこで、荘園や土地関連史料をもとに、古代から中世において奈良盆地でどのような地目(土地利用)がみられたのか知る手がかりとして、地図上で、平城京条坊の坪や条里の坪(別掲:各語にリンクを貼ります)を単位に表示できるようにしました。
本データベースの背景には、まず、平城京の条坊に由来する地割や、その外側に盆地全域を覆うように広がる条里の方格地割が比較的よく残っていることがあります。また、8世紀以降、土地関連史料において、平城京や条里地域の宅地や耕地の所在地が「左京二条七坊三坪」「添上郡京南五条五里一坪」のように、郡名、左・右京の別、数詞の条、坊または里、坪で表わす坪付呼称等で示されていました。坪付呼称はやがて用いられなくなりますが、その一部は「三条」「イチノツボ」「ニノツボ」などの地名や小字名となって伝わっています。これらの地名や小字名などをふまえ、奈良県立橿原考古学研究所によって『大和国条里復原図』(奈良県立橿原考古学研究所編、1980年)に条坊や条里の地割と坪付呼称とが復原されています。そして、史料中の坪付呼称と『条里復原図』を組み合わせることで、史料に見える土地がどこにあるのか比定することが可能となっています。
したがって、土地関連史料に記載された土地利用をはじめとするさまざまな情報を「坪」を単位として地図上に示すことができ、これによって時系列による変化などもある程度知ることができます。
奈良盆地の平城京域および条里地割が遺存する地域。平群谷、初瀬谷など周辺の小谷の一部も含みます。
主に奈良・平安・鎌倉時代。
(「土地関連史料の出典」も参照して下さい)